澎湖島回帰海道~時の経つのは早いものです。 13年前の1月、旧正月とは知らず に台湾・高雄を訪れることになった。おおよそ60年前、母が出したハガキがキッカケとなった不思議な
時空を超えた旅の始まり。その足で訪れた澎湖島。母の思い出の地に立った。歩いた砂浜の一角
で、母の写真を波間に添えた。寄せては返す小さな静かな波に、母の顔が揺れた。やっとたどり着いた。
涙が止まらず、嗚咽する。短い時間。再びこの地を訪れたい。その想いは続いた。
今、こうして計画が進んでいる。本当に、実現に向けて。・・・・2010.06.16

1 コメント:
亡母が育った台湾、花蓮港の街。
昔、仕事で中国大陸本土を廻っていた頃、息抜きに、ようやく取得した休暇で初めて台湾を訪れた。自身、台湾でお腹に入ったと聞いていたので、生を受けた地は ここ、made in Taiwan と思っている。当時、未だ健在だった母に一緒に台湾へ行こうと誘ったが、健康に自信がないと同意してはくれなかった。一人、台北から花蓮港へ向かった。花蓮の丘の上に在る飯店で、昔の花蓮港高等女学校は今は、どうなっているか訊くと、飯店と同じ丘にあると云う。訪ねるが、どうも母から伝え聞いたイメージと異なる。
引き返し、年配の方に訊くと、丘から下った処にある高校が女学校が母体と教えてくれた。丘を下ると確かに正門、正面から校舎へのアプローチは中央に蘇鉄の年輪を経た大木があり、昔、女学校であった事を物語っている。
校舎は、鉄筋の3階建に変身しているが、正面周辺には古い木造の作業室が残されており、幾つか戦前からと思われる建物をカメラに収めて帰国した。
母に写真を見せると、思わず涙して、これは「裁縫教室」だったと。そして、蘇鉄が女学校の象徴であったと。
再び、花蓮港を訪れる機会は少ないかも知れないが、タイへ行くときは台北経由、中華航空で行くことが多い。
台北で次のバンコク行きの便を待つ搭乗待合室から眺める風景は、南国特有の滑走路から上がる熱気の陽炎を感じながら、ここで生を受けたと、さらに亡母のことを想う。
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