20:24










10月2日、3日(星期六、天)いよいよ旅の終わり。2日は11時半に久子さんと清印さんの奥さんがホテルフロントで待ていてくれた。高速鉄道の台南駅は市内の中心から結構離れていて評判は良くない。、
新設の駅なので、周りは何も無い田園風景。待っている間に久子さんと色々筆談をすることが出来た、豊三郎さんのあの当時の建設会社は三口組と言ったそうだ。林さんの学校はお父さんが作ったそうで、お父さんは日本の花王のシャンプーを台湾で作っていた。結構な財をなしたそうだが、50歳の若さで脳溢血で亡くなったとのこと、今日午後理事会のため、林さんは来られなかった。日本で言う専門学校と思われる職業学校も日本と同じように少子化で経営が厳しくなって来ているようだ。桃園駅でホテルの迎えのバスを、かろうじて見つけ、やっと最後の宿泊のホテル、オーチャードガーデンホテルに着いた。4星だったので、そこそこ期待していたのだが、大陸からのツアー客が中心で、がっかり。ただ、面白いことに、トイレはパナソニック製のウオッシュレット、。テレビもパナソニックのプラズマテレビで42インチぐらいの大きさ。ホテルのほかの設備内容から見ると異例。あの台南のシャングリラさえウオッシュレットではなったのに。それとドアがカードセンサー方式で開くタイプ。しかしなかなかタイミングが 合わず開かない、一度はフロントから来てもらった。へんなところに凝るきらいがあるホテル。食事もどうしようも無いほどまずい。団体客と一緒だったので、殆どなくなっている。ものすごい集りようで戦争のようだ。ここには珍しいハーゲンダーツのアイスクリームがあったが、次から次へとりに来るさまはまるでありがたかるようだった。HDは高いことを知っていて7-11で買った小さいカップが約100元、通常のアイスクリームが高くて20元なので、ちょうど5倍程度かな。
明日が早いので、台北市内まで出かけるのは止め、スパでマッサージをしてもらった。1時間1200元。若いお兄さんだったが、とても上手い人だった。1時間を越えるサービスをしてくれ、体調を整えるのに良かった。 10月3日、8時に予約していたタクシーが、案の定手配がされてない、慌ててタクシーを呼んでもらう。昨日のはなんだったのか。万事そんな風なホテルで、ベルボーイも居ない団体専用のホテルだった。ホテルコムに評判を書こう。しっかりパブリックコメントすることにしてここは収め、やっと来たタクシーに乗って、予定より10分遅れで飛行場につくことが出来た。後は乗るだけ、しかし最後の最後でちょっとしたトラブルが起きた。その為1時間出発が遅れ、成田にはちょうど3時に着いた。今日は母の命日、お坊さんが高宮に来てお経が始まった時間だったそうだ。 遅れていなければお経の開始時間ではなかった。姉へ電話3時15分、ちょうど今お経が終わったばかりだという。不思議な気がした。母の命日に帰ってきたそしてお経を上げるときに着いた。突然込み上げてきた。母と一緒に帰って来た気がした。澎湖島回帰海道。私の人生にとって一つの大きな旅が終わり無事戻ることが出来た。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
11:36










10月1日(星期3、金曜日)朝8時半に次男さんの秘書役李さんがホテルに迎えに来るというので、
寝不足ながら用意をし、食事抜きで間に合わせた。 ネットで予約していた台湾高速鉄道(新幹線)のチケットを前日の夜、取りに行ってくれ、台南までの在来線のアレンジをすべてしてくれた。
台南の高速鉄道の新駅は市内から離れているというので、急遽在来線の台南駅での下車に切り替えてくれ、林さんご夫妻が迎えに来てくれていることになっている、との事だった。土産のバックが一つ増え、両手にトランク、ベルトにポーチ、PCを入れたショルダーと4個、締めて40㎏近い(ちょっとオーバーかな)荷物を全身で運び、急行で30分の距離にある台南駅に到着した。思ったより近い。駅の構内をガタゴトと引きずりながら出口へ向う。林さんが少し曲がった腰つきで、大きな眼鏡と少し痩せた様子で、手を振っていた。隣で久子さんは何時もの笑顔でやさしく待っていてくれた。それにしてもお互い年を取ったと感じた。持ってくれようとするのを、お願いして止めて貰い、ガタゴトガタゴト歩道をタクシー探しに歩く。林さんは国民学校で1年だけ日本語を習っただけだそうで、少ししか分らないとおっしゃっていたが、60年以上前に習った割にはよく覚えておられた。久子さんは腰が悪いそうで、長く普通に歩くのは少し辛そう。普段は両輪の手押し車で、1時間は散歩するそうだ。元気でいてほしい。(この先、2日のホテルで編集していたのに、UPされてない。せっかくの記録が没有。帰国後補修)
さて、お二人は以前と変わらぬ温かさで迎えてくれた。ホテルシャングリラでチェックインを済ますと、
そのままタクシーを借り切ってくれかれこれ1時間半は掛かるTSENGWEN水庫(所謂ダム)へ連れて行ってくれた。台南中心部から北東の方向にあり、利水・治水・発電を担う総合ダム。様式はロックフィル、ここでも日本と同様に流木・堆積土砂問題が課題のようだ。自然を変える代償はまだまだ続くが、
人間生活とのバランスで考えるしかない。何事も功罪はつき物。やりすぎはいけないが。
長時間の車での移動で、お疲れだったにも関わらず、1日で見れるものは皆んな見せたいとばかり、林老師は無理を押して案内してくれた。オランダ支配時代の2城、孔廟、chihkan Towerなどを見て回り、
5時半に予約されていた「周氏蝦巻」へ直行。このお店は総統が国賓クラスを案内するとか、キムタクドラマの女優「林志玲」も来たことがある店のよう。多くの有名人の写真があった。清印夫妻、息子DANNY, 娘EMILYとUNIAIRに勤めている三男のMORGANLIN君、全部で8名で食事をした。
DANNYは中学2年、EMILYは10歳で、二人とも元気のいい子供だ。いつの間にかこんなに大きくなったので、洋服を適当に送れなくなった。モルガン君とは英語で、林老師は日本語で、殆どモルガン君が英語を通訳してくれた。私の北京語は、子供達には「ハー?」と言われたが、大人は何とか無理して理解してくれた。その度に辞書を確認し、四声で言い合う姿はおかしかったと思う。食後は清印君くんの
お宅へお邪魔し、美味しいコーヒーを戴きながら、家族の事、母の事などを持っていた電子辞書の写真を見ながら思い出話に花が咲いた。9時過ぎにホテルに戻り、10時過ぎから、ホテル自慢の外のプールで夜空を見ながら人泳ぎし、開放感に浸りながら久しぶりに熟睡した。
11:23






9月30日の続き。写真をUPする。スコアーは論外として、日本製クラブのドライバー「KATANA」を初めて使ったが、軽く振りぬくと良く飛ぶ。アマ向きの様に思えたが、さてどうだろう。何しろ夕方なのに沈まない太陽には参った。暑いどころではない。ここでのゴルフは冬だそうだ。日本からのゴルフ客は12月から2月にかけて来るようだ。
5:27
9月30日(星期四、木曜日)昨日は飲めないウイスキーを生で飲んでいたので、夜中何度も起きる
羽目になった。多少眠い目を擦りながら朝の朝食を済ませ、時間まで外を歩いて見た。あの14年近い昔に見た高雄の街の印象は消えていた。凄い発展振りで、街路樹も大きく育ち、なにしろ昔のごみごみした汚れた感じがしない。もちろんあのオートバイ群団も見かけず、殆ど車社会になっていた。
11時に5000ccのMBWのランドクルーザーで奥さんと迎えにこられた。昨日夜の会食で紹介された元女子プロの櫨と言うおばさんをピックアップし信誼ゴロフクラブへ向った。高速道路もかなり整備されており、4車線のフリーウエイで1号線(台北を結ぶ)を北東へ約30分のところにあるゴルフ場。NO.1のゴルフ場?なんでもNo.1かNo.2の話が多いので本当のところは分らないが、久しぶりに日本製のクラブを振ることになった。櫨先生は昔日本で活躍したTOU AGYOKU(字が分らず)と同期生とかで、
片言の日本語は話せる。それに秘書の李さん、奥さんと私。次男さんはシングルの腕前、ビジネス交流とも兼ねてか、仲間内とプレイするとかでIN,OUTに分かれて行った。この間、北京語、英語、日本語のトリプル会話で何とか会話が繋がるのが面白い。実践的な北京語での会話にはとても役に立った。四声を直してもらったりしながら、雰囲気をつかみ話題の単語を探す。分らない時は電子辞書を片手に話す。やはり実践に勝るものは無い。極力無言は避け、話に入1るようにする。櫨先生からは後、2,3回高雄に来れば、かなり話せるようになるよ。また、ゴルフにいらっしゃいとのやさしい言葉も貰った。プレイ後はホテルでご馳走になり、わざわざ料理長が挨拶に来た。北京ダックは流石上手かった。
ビジネス交流で不在だった会長と次男さんが途中で合流し、乾杯の連続。やり手の経営者のライフスタイルを見た感じ。一時も無駄なく人と交流している、それもどうも毎日のようだ。これは自分には勤まらない。しかしこの会長は63歳、自分と同じ年だ。アーしんど。まあーこっちのペースで頑張ろう。
そんな一日でした。今、深夜4時過ぎかな。もうすっかり明日になっている。ペースが狂った。
ではまた、再見! 写真のUPはパス。8時に迎えに来るので、台南で時間が取れればUPします。