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田嶋宏行氏の生い立ち

2011.6.13 夜から朝方にかけ、低気圧の通過で相当な雨が降った。とても蒸し暑い一日となる。真夏が今から思いやられる。さて、田嶋氏については奥さんからの話が唯一記録されている。
1911年東京生まれ。小学校5年の時、祖父が住む松井田町に移る。祖父は同町で「しまや」という飛脚問屋を営んでいたということだが、1867年大政奉還により、その後郵便事業に政府が乗り出したことから、1930年代その当時何を営んでいたかは定かではない。松井田町は碓氷峠を経て、長野県軽井沢町と接し、東京から約130㎞の距離にある。松井田城を中心に栄え、中山道の坂本宿と並ぶ宿場町として栄えたので、その宿場町の飛脚問屋と言えばそれなりに著名であったであろう。彼は母親を彼自身生後4日にして亡くし、松井田の祖父母に育てられた。奥さんに語った彼自身の言葉によると「周りは他人ばかり、”僕はいつも人の事を気にかけていた”」そうだ。幼年期の体験が、彼の性格を形作ったのではないか。画壇において独立独歩の道を歩み、創作版画において独自の分野を開いたのも、この時代の体験が影響していると思われる。1941年太平洋戦争が始まる前に結婚をしたが、息子を疎開先の池でおぼれて亡くすなどつらい日々が続いたようだ。最初の奥さんの話はその後出てこない。
絵を書くのが好きだった少年は、県立高崎商業学校を卒業後、東京美術学校(現芸大)、日本大学芸術学科で学ぶことになる。次回に続く

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