20:24




10月2日、3日(星期六、天)いよいよ旅の終わり。2日は11時半に久子さんと清印さんの奥さんがホテルフロントで待ていてくれた。高速鉄道の台南駅は市内の中心から結構離れていて評判は良くない。、
新設の駅なので、周りは何も無い田園風景。待っている間に久子さんと色々筆談をすることが出来た、豊三郎さんのあの当時の建設会社は三口組と言ったそうだ。林さんの学校はお父さんが作ったそうで、お父さんは日本の花王のシャンプーを台湾で作っていた。結構な財をなしたそうだが、50歳の若さで脳溢血で亡くなったとのこと、今日午後理事会のため、林さんは来られなかった。日本で言う専門学校と思われる職業学校も日本と同じように少子化で経営が厳しくなって来ているようだ。桃園駅でホテルの迎えのバスを、かろうじて見つけ、やっと最後の宿泊のホテル、オーチャードガーデンホテルに着いた。4星だったので、そこそこ期待していたのだが、大陸からのツアー客が中心で、がっかり。ただ、面白いことに、トイレはパナソニック製のウオッシュレット、。テレビもパナソニックのプラズマテレビで42インチぐらいの大きさ。ホテルのほかの設備内容から見ると異例。あの台南のシャングリラさえウオッシュレットではなったのに。それとドアがカードセンサー方式で開くタイプ。しかしなかなかタイミングが 合わず開かない、一度はフロントから来てもらった。へんなところに凝るきらいがあるホテル。食事もどうしようも無いほどまずい。団体客と一緒だったので、殆どなくなっている。ものすごい集りようで戦争のようだ。ここには珍しいハーゲンダーツのアイスクリームがあったが、次から次へとりに来るさまはまるでありがたかるようだった。HDは高いことを知っていて7-11で買った小さいカップが約100元、通常のアイスクリームが高くて20元なので、ちょうど5倍程度かな。
明日が早いので、台北市内まで出かけるのは止め、スパでマッサージをしてもらった。1時間1200元。若いお兄さんだったが、とても上手い人だった。1時間を越えるサービスをしてくれ、体調を整えるのに良かった。 10月3日、8時に予約していたタクシーが、案の定手配がされてない、慌ててタクシーを呼んでもらう。昨日のはなんだったのか。万事そんな風なホテルで、ベルボーイも居ない団体専用のホテルだった。ホテルコムに評判を書こう。しっかりパブリックコメントすることにしてここは収め、やっと来たタクシーに乗って、予定より10分遅れで飛行場につくことが出来た。後は乗るだけ、しかし最後の最後でちょっとしたトラブルが起きた。その為1時間出発が遅れ、成田にはちょうど3時に着いた。今日は母の命日、お坊さんが高宮に来てお経が始まった時間だったそうだ。 遅れていなければお経の開始時間ではなかった。姉へ電話3時15分、ちょうど今お経が終わったばかりだという。不思議な気がした。母の命日に帰ってきたそしてお経を上げるときに着いた。突然込み上げてきた。母と一緒に帰って来た気がした。澎湖島回帰海道。私の人生にとって一つの大きな旅が終わり無事戻ることが出来た。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
新設の駅なので、周りは何も無い田園風景。待っている間に久子さんと色々筆談をすることが出来た、豊三郎さんのあの当時の建設会社は三口組と言ったそうだ。林さんの学校はお父さんが作ったそうで、お父さんは日本の花王のシャンプーを台湾で作っていた。結構な財をなしたそうだが、50歳の若さで脳溢血で亡くなったとのこと、今日午後理事会のため、林さんは来られなかった。日本で言う専門学校と思われる職業学校も日本と同じように少子化で経営が厳しくなって来ているようだ。桃園駅でホテルの迎えのバスを、かろうじて見つけ、やっと最後の宿泊のホテル、オーチャードガーデンホテルに着いた。4星だったので、そこそこ期待していたのだが、大陸からのツアー客が中心で、がっかり。ただ、面白いことに、トイレはパナソニック製のウオッシュレット、。テレビもパナソニックのプラズマテレビで42インチぐらいの大きさ。ホテルのほかの設備内容から見ると異例。あの台南のシャングリラさえウオッシュレットではなったのに。それとドアがカードセンサー方式で開くタイプ。しかしなかなかタイミングが 合わず開かない、一度はフロントから来てもらった。へんなところに凝るきらいがあるホテル。食事もどうしようも無いほどまずい。団体客と一緒だったので、殆どなくなっている。ものすごい集りようで戦争のようだ。ここには珍しいハーゲンダーツのアイスクリームがあったが、次から次へとりに来るさまはまるでありがたかるようだった。HDは高いことを知っていて7-11で買った小さいカップが約100元、通常のアイスクリームが高くて20元なので、ちょうど5倍程度かな。
明日が早いので、台北市内まで出かけるのは止め、スパでマッサージをしてもらった。1時間1200元。若いお兄さんだったが、とても上手い人だった。1時間を越えるサービスをしてくれ、体調を整えるのに良かった。 10月3日、8時に予約していたタクシーが、案の定手配がされてない、慌ててタクシーを呼んでもらう。昨日のはなんだったのか。万事そんな風なホテルで、ベルボーイも居ない団体専用のホテルだった。ホテルコムに評判を書こう。しっかりパブリックコメントすることにしてここは収め、やっと来たタクシーに乗って、予定より10分遅れで飛行場につくことが出来た。後は乗るだけ、しかし最後の最後でちょっとしたトラブルが起きた。その為1時間出発が遅れ、成田にはちょうど3時に着いた。今日は母の命日、お坊さんが高宮に来てお経が始まった時間だったそうだ。 遅れていなければお経の開始時間ではなかった。姉へ電話3時15分、ちょうど今お経が終わったばかりだという。不思議な気がした。母の命日に帰ってきたそしてお経を上げるときに着いた。突然込み上げてきた。母と一緒に帰って来た気がした。澎湖島回帰海道。私の人生にとって一つの大きな旅が終わり無事戻ることが出来た。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
11:36




10月1日(星期3、金曜日)朝8時半に次男さんの秘書役李さんがホテルに迎えに来るというので、
寝不足ながら用意をし、食事抜きで間に合わせた。 ネットで予約していた台湾高速鉄道(新幹線)のチケットを前日の夜、取りに行ってくれ、台南までの在来線のアレンジをすべてしてくれた。
台南の高速鉄道の新駅は市内から離れているというので、急遽在来線の台南駅での下車に切り替えてくれ、林さんご夫妻が迎えに来てくれていることになっている、との事だった。土産のバックが一つ増え、両手にトランク、ベルトにポーチ、PCを入れたショルダーと4個、締めて40㎏近い(ちょっとオーバーかな)荷物を全身で運び、急行で30分の距離にある台南駅に到着した。思ったより近い。駅の構内をガタゴトと引きずりながら出口へ向う。林さんが少し曲がった腰つきで、大きな眼鏡と少し痩せた様子で、手を振っていた。隣で久子さんは何時もの笑顔でやさしく待っていてくれた。それにしてもお互い年を取ったと感じた。持ってくれようとするのを、お願いして止めて貰い、ガタゴトガタゴト歩道をタクシー探しに歩く。林さんは国民学校で1年だけ日本語を習っただけだそうで、少ししか分らないとおっしゃっていたが、60年以上前に習った割にはよく覚えておられた。久子さんは腰が悪いそうで、長く普通に歩くのは少し辛そう。普段は両輪の手押し車で、1時間は散歩するそうだ。元気でいてほしい。(この先、2日のホテルで編集していたのに、UPされてない。せっかくの記録が没有。帰国後補修)
寝不足ながら用意をし、食事抜きで間に合わせた。 ネットで予約していた台湾高速鉄道(新幹線)のチケットを前日の夜、取りに行ってくれ、台南までの在来線のアレンジをすべてしてくれた。
台南の高速鉄道の新駅は市内から離れているというので、急遽在来線の台南駅での下車に切り替えてくれ、林さんご夫妻が迎えに来てくれていることになっている、との事だった。土産のバックが一つ増え、両手にトランク、ベルトにポーチ、PCを入れたショルダーと4個、締めて40㎏近い(ちょっとオーバーかな)荷物を全身で運び、急行で30分の距離にある台南駅に到着した。思ったより近い。駅の構内をガタゴトと引きずりながら出口へ向う。林さんが少し曲がった腰つきで、大きな眼鏡と少し痩せた様子で、手を振っていた。隣で久子さんは何時もの笑顔でやさしく待っていてくれた。それにしてもお互い年を取ったと感じた。持ってくれようとするのを、お願いして止めて貰い、ガタゴトガタゴト歩道をタクシー探しに歩く。林さんは国民学校で1年だけ日本語を習っただけだそうで、少ししか分らないとおっしゃっていたが、60年以上前に習った割にはよく覚えておられた。久子さんは腰が悪いそうで、長く普通に歩くのは少し辛そう。普段は両輪の手押し車で、1時間は散歩するそうだ。元気でいてほしい。(この先、2日のホテルで編集していたのに、UPされてない。せっかくの記録が没有。帰国後補修)
さて、お二人は以前と変わらぬ温かさで迎えてくれた。ホテルシャングリラでチェックインを済ますと、
そのままタクシーを借り切ってくれかれこれ1時間半は掛かるTSENGWEN水庫(所謂ダム)へ連れて行ってくれた。台南中心部から北東の方向にあり、利水・治水・発電を担う総合ダム。様式はロックフィル、ここでも日本と同様に流木・堆積土砂問題が課題のようだ。自然を変える代償はまだまだ続くが、
人間生活とのバランスで考えるしかない。何事も功罪はつき物。やりすぎはいけないが。
長時間の車での移動で、お疲れだったにも関わらず、1日で見れるものは皆んな見せたいとばかり、林老師は無理を押して案内してくれた。オランダ支配時代の2城、孔廟、chihkan Towerなどを見て回り、
5時半に予約されていた「周氏蝦巻」へ直行。このお店は総統が国賓クラスを案内するとか、キムタクドラマの女優「林志玲」も来たことがある店のよう。多くの有名人の写真があった。清印夫妻、息子DANNY, 娘EMILYとUNIAIRに勤めている三男のMORGANLIN君、全部で8名で食事をした。
DANNYは中学2年、EMILYは10歳で、二人とも元気のいい子供だ。いつの間にかこんなに大きくなったので、洋服を適当に送れなくなった。モルガン君とは英語で、林老師は日本語で、殆どモルガン君が英語を通訳してくれた。私の北京語は、子供達には「ハー?」と言われたが、大人は何とか無理して理解してくれた。その度に辞書を確認し、四声で言い合う姿はおかしかったと思う。食後は清印君くんの
お宅へお邪魔し、美味しいコーヒーを戴きながら、家族の事、母の事などを持っていた電子辞書の写真を見ながら思い出話に花が咲いた。9時過ぎにホテルに戻り、10時過ぎから、ホテル自慢の外のプールで夜空を見ながら人泳ぎし、開放感に浸りながら久しぶりに熟睡した。
11:23
5:27
9月30日(星期四、木曜日)昨日は飲めないウイスキーを生で飲んでいたので、夜中何度も起きる
羽目になった。多少眠い目を擦りながら朝の朝食を済ませ、時間まで外を歩いて見た。あの14年近い昔に見た高雄の街の印象は消えていた。凄い発展振りで、街路樹も大きく育ち、なにしろ昔のごみごみした汚れた感じがしない。もちろんあのオートバイ群団も見かけず、殆ど車社会になっていた。
11時に5000ccのMBWのランドクルーザーで奥さんと迎えにこられた。昨日夜の会食で紹介された元女子プロの櫨と言うおばさんをピックアップし信誼ゴロフクラブへ向った。高速道路もかなり整備されており、4車線のフリーウエイで1号線(台北を結ぶ)を北東へ約30分のところにあるゴルフ場。NO.1のゴルフ場?なんでもNo.1かNo.2の話が多いので本当のところは分らないが、久しぶりに日本製のクラブを振ることになった。櫨先生は昔日本で活躍したTOU AGYOKU(字が分らず)と同期生とかで、
片言の日本語は話せる。それに秘書の李さん、奥さんと私。次男さんはシングルの腕前、ビジネス交流とも兼ねてか、仲間内とプレイするとかでIN,OUTに分かれて行った。この間、北京語、英語、日本語のトリプル会話で何とか会話が繋がるのが面白い。実践的な北京語での会話にはとても役に立った。四声を直してもらったりしながら、雰囲気をつかみ話題の単語を探す。分らない時は電子辞書を片手に話す。やはり実践に勝るものは無い。極力無言は避け、話に入1るようにする。櫨先生からは後、2,3回高雄に来れば、かなり話せるようになるよ。また、ゴルフにいらっしゃいとのやさしい言葉も貰った。プレイ後はホテルでご馳走になり、わざわざ料理長が挨拶に来た。北京ダックは流石上手かった。
ビジネス交流で不在だった会長と次男さんが途中で合流し、乾杯の連続。やり手の経営者のライフスタイルを見た感じ。一時も無駄なく人と交流している、それもどうも毎日のようだ。これは自分には勤まらない。しかしこの会長は63歳、自分と同じ年だ。アーしんど。まあーこっちのペースで頑張ろう。
そんな一日でした。今、深夜4時過ぎかな。もうすっかり明日になっている。ペースが狂った。
ではまた、再見! 写真のUPはパス。8時に迎えに来るので、台南で時間が取れればUPします。
羽目になった。多少眠い目を擦りながら朝の朝食を済ませ、時間まで外を歩いて見た。あの14年近い昔に見た高雄の街の印象は消えていた。凄い発展振りで、街路樹も大きく育ち、なにしろ昔のごみごみした汚れた感じがしない。もちろんあのオートバイ群団も見かけず、殆ど車社会になっていた。
11時に5000ccのMBWのランドクルーザーで奥さんと迎えにこられた。昨日夜の会食で紹介された元女子プロの櫨と言うおばさんをピックアップし信誼ゴロフクラブへ向った。高速道路もかなり整備されており、4車線のフリーウエイで1号線(台北を結ぶ)を北東へ約30分のところにあるゴルフ場。NO.1のゴルフ場?なんでもNo.1かNo.2の話が多いので本当のところは分らないが、久しぶりに日本製のクラブを振ることになった。櫨先生は昔日本で活躍したTOU AGYOKU(字が分らず)と同期生とかで、
片言の日本語は話せる。それに秘書の李さん、奥さんと私。次男さんはシングルの腕前、ビジネス交流とも兼ねてか、仲間内とプレイするとかでIN,OUTに分かれて行った。この間、北京語、英語、日本語のトリプル会話で何とか会話が繋がるのが面白い。実践的な北京語での会話にはとても役に立った。四声を直してもらったりしながら、雰囲気をつかみ話題の単語を探す。分らない時は電子辞書を片手に話す。やはり実践に勝るものは無い。極力無言は避け、話に入1るようにする。櫨先生からは後、2,3回高雄に来れば、かなり話せるようになるよ。また、ゴルフにいらっしゃいとのやさしい言葉も貰った。プレイ後はホテルでご馳走になり、わざわざ料理長が挨拶に来た。北京ダックは流石上手かった。
ビジネス交流で不在だった会長と次男さんが途中で合流し、乾杯の連続。やり手の経営者のライフスタイルを見た感じ。一時も無駄なく人と交流している、それもどうも毎日のようだ。これは自分には勤まらない。しかしこの会長は63歳、自分と同じ年だ。アーしんど。まあーこっちのペースで頑張ろう。
そんな一日でした。今、深夜4時過ぎかな。もうすっかり明日になっている。ペースが狂った。
ではまた、再見! 写真のUPはパス。8時に迎えに来るので、台南で時間が取れればUPします。
1:10



9月29日(星期三、水曜日)午前中の授業の後、馬公を発ち、無事高雄に15:00過ぎに着いた。空港には張先生の次男さんが大型ベンツで迎えに来ていてくれ、彼が経営するゴルフ練習場へ直行し、その後、彼と仲間で経営しているホテルへ行きました。高雄でNo.2のホテルだそうで、寒軒国際大飯店42階建ての素晴らしいホテルです。なんとスイートルームを用意してくれていました。別のホテルを予約していましたが、明日まで彼のホテルにお世話になることになりました。その後は澎湖海鮮料理店、以前行ったことがある地元NO.1か2のお店で、美味しい蟹料理など沢山頂き、ホテルに戻ってからは、寒軒グループの代表者と女性でNO.2の方の紹介を受けました。このグループは大陸北京、上海にも大型のレストラン、クラブを経営しているそうです。ちょっとした財閥なのでしょう。今度高雄に来る時は、往復のエアーチケットだけで、こちらの滞在場所、食事、ゴルフは全部フリーでいいので、必ずまた来なさいとの誘いを受けました。次男さんは、以前よりもっと成功していました。今度は必ず一族で来てほしい、すべて自分がアレンジするので心配いらないと言うことを何度も言われました。なので、今度高宮の皆さんと一度また高雄へ参りましょう。明日は11時に迎えに来てくれ、ゴルフをプロと一緒にラウンドすることになりました。
それから秋子姉も食事を一緒しましたが、足が不自由にされ、随分お年を取られたと感じました。ホテルでインターネットもすべて用意頂いたので、明日スカイプが出来ればアクセスします。
写真は今日の一場面です。
23:15


9月28日(星期二、火曜日)いよいよ澎湖島滞在も今日で終わりとなる。年なのか、午後の授業を受けた後、ドット疲れが出てきた。ここまで何とかたどり着いた安堵からか。短いようで長い滞在だった。
明日の午前中の授業を受けた後、2時半の飛行機だが、早めに1時頃ここを発つ予定だ。明日ここを発つ人数が、私を入れて4名になる。一度に4名も抜け、おまけに今から来る人は極端に減ってくるので、かなり淋しくなるだろう。明日発つ人の為に校長先生の奥さんが、小さい茹でイカ、チキン、ハリセンボンの刺身を用意してくれた。ささやかながら、顔見知りが集まり、簡単な送別会を開催した。
一人若いのは高雄を経由して台北で自活を試みる男、他二人は親戚のおじ、姪といった感じの爺さん、と二十歳代後半の女性。若者がについて高雄まで船で行くそうだ。この二人の話を聞いていると、今回は爺さんのほうが語学研修について来たと言うことのようだ。二人ともよく海外に長期に出かけているそうだ。爺さん(66歳とか言ってた)は、爺さんと言うには失礼になるほど、エネルギッシュで、安いツアーや、現地滞在型の語学研修などに世界を歩いているようで、家庭のことは全く分らない。
死ぬまで好きなことをするそうだ。色んな生き方があるもんだ。若者以上にエネルギッシュなのには参る。スキンヘッドを売り物に誰とでも話そうとする。あのあつかましさと、騒々しさは関西系だ。
アップした写真は送別会の様子。では、皆さん再見!
21:36





9月27日(星期一、月曜日)いよいよ学校も最後の週となってしまった。まだ課題も多く、本当にスタートに立った状態だ。まあ気長にと思いながらも、あせる気持ちが無いわけではない。さて、今日校長先生の奥さんに精算を頼み、支払いを済ませてしまった。びっくりするほど安く申し訳ない気がする。明日の授業の後、荷造りなどをして帰り準備を始めることになる。来てしまえば、あっという間に終わったようだ。明日は慌しくもあり行けなくなると困るので、今日の内にカプセルを埋めた場所へ出掛けることにした。外婆の岬とでも名付けておこう。まだ行ってなかった澎湖開拓館(日本統治時代の澎湖庁長の官舎で、和洋折衷式の建物)へ寄ったが閉館の時間を過ぎていた。写真を撮り、外海に繋がる防波堤の先まで行ってみた。潮風が心地よかった。観光客と思しき一団が、あぜ道のような舗装してない砂利道をワイワイ騒ぎながら自転車で通り過ぎる。静かな漁村の風情から、突然現在にタイムスリップしたようだ。
これが現実なんだ、若者の笑い声が澄み渡った青空に響き渡り、明日への希望を感じた。人通りの少ない荒地のを抜け、観音亭へ向った。写真で見かけなかった、昔あったあの象の姿を確認したかった。
もう一時のようなジリジリした焼けるような暑さではないので、バイクで風を切りながら走るのも心地よい。又訪れた観音亭は、お経に似た祈りに包まれていた。確かに象像があった。なぜか安心した。
写真を撮って、そのままカプセルの場所へ急いだ。入り口の扉でも閉められたら終わりだ。幸い多くの観光客で賑わっていたので、大丈夫そうだ。外婆の銅像の周りには年配者の集団が、ワイワイガヤガヤ景色を堪能しながら、写真を撮っているではないか。次から次へ。近くの木の根っこを掘って埋めたので、わざわざ掘り返す心配はない。一通り人が過ぎ去ったのを見計らって、手を合わせた。
本当に来て良かった。祈りが通じたのだろうか。記念に木の葉を2,3枚取り、静かにバックのノートに
挟んだ。この旅も確実に終わりに近づいたことを悟った。・・・・・・・
23:50
9月26日(星期天、日曜日)今日は宿舎中コトリとも音がしない。静かなものだ。こちらもすっかり寝過ごしてしまった。規則正しいを破るのは快感を覚える。8時過ぎまで寝てしまった。午前中は、洗濯と掃除に勤しみ、そして台湾新幹線の予約手続きをした。10月1日の高雄左営駅から台南までと、2日の台南から台北までのチケットをネットで予約を入れた。最初は台湾高速鉄道のホームページから予約を入れていたが、回線の反応が遅く役に立たない。以前から使っている台湾のezteavelのホームページから予約を取ることにした。一度に2枚の切符の処理が出来、おまけに各駅からのタクシーの70元ディスカウント券まで付いている。値段は駅で買うのと一緒。同時決済で瞬時に予約が取れる。ネットのお陰で処理がスムースだ。以前に話したが、予約表はプリントして提示しなければならない。所謂eチケットと同じなのだ。プリンターが無いので、スクリーンプリントし画像としてワードに貼り付け、アルファベットのファイル名でUSBに保存。こうするとseven-elevenでプリントできる。店に行き、色んなメディアに対応したスロットがある端末が置いてある。支払いやら写真のプリントやら文書の印刷などが出来る仕組みだ。今回は画面を見ながら自分で処理できた。中国語を読み理解することも少しは進歩したかな。午後は、久しぶりにプールへ行った。今回は10本ぐらい、500mといったところ。それにしても家の太太(体型ではなく中国語で奥さんの意味)はプールで1000mは泳ぐと言っていた。ゲエー負けた。結構疲れる。もう外へ出たくないので、シャワーを浴びる前に買出しに出かけた。パン屋にスーパーに果物屋を回りここ数日の基礎食品を仕入れた。締めて310元、1000円にも満たない。これで飢え死にはない。ウフフ・・・・。果物屋では昨日学校で友人といた台湾人が偶然、店のアルバイトでいた。どっか見た顔だなと思いながら、バナナ(香蕉~xiang jia0)は?と聞くと頭の上にぶら下がっている。十数本のバナナを一人で食べるわけにも行かず、4本だけ切ってもらった。「あんた見た見た」、すると傍に来た学生の女の子が「看看」ではなく「看過」よ、と教えてくれた。字を見るとすぐ分るのだが、guoの発音は犬gouと間違いやすい。最初字が浮かんでこなかった. 顔見知りが増えると便利がいい。プールの荷物預かりのお姉さんも顔見知りなので、腕にとめる番号札を省略してくれる。など、ちょっとしたもんだ。しかし慣れたころ帰る。まー考えようによってはちょうどいい退け時かもしれない。さて、本日はそんな訳で写真が無い。それで以前話していた、女性の覆面姿の写真を2枚公開します。目から下を覆う顔フンドシぽい、失礼。物です。紫外線が強いので常時外出時は防御しています。
21:53




9月25日(星期六、土曜日)授業が休みなので、今日は「七美」と言う島を目指して一人で出かけることにした。学校から歩いて約20分にある南海旅客センターに出かけ、これも勉強とばかり今日の出発ツアーを探すことにした。今までの買い物とは違い、こちらの要望と、先方の説明、納得、決定と言うプロセスを得なければならない。これは相当しんどい実習だ。さて、7時40分頃、センターに到着。もう待合室は観光客で一杯になっていた。船会社のカウンターがいくつもあり、一見客などいない様子。ようやっと意を決して中央案内所のカウンターへいった。「請問(すみません)・・・・」。 「ハア?」という仕草はなかった。ホオ。
よしよし、こちらはツアーに便乗しなければ動けないので、一生懸命遊覧したいことを伝える。「あなた切符持ってるの?」「いいえ(没有)」と答える。七美の他2~3の島を巡る船は無いかと尋ねる。OK,OK(対、対)と、隣の団体を捌居ていたおばさんに声を掛ける。「ネエーあんた!この人一人なんだけど、2、3島を巡るツアーに入れるのない?」「七美と望安の2島巡りなら入れてあげれるそうよ」オッケー。
何時間かかるか分らないし2島で十分か。早速船会社のカウンターへ行くと、ここに名前と身分証明番号を書けという。所謂乗客名簿。記入終わると700元と引き換えに65番のケースをくれた。時間が来るまで、そこの椅子で待て。という按配でどうにかもぐりこめることが決定したのだ。ハア・・・・・疲れた。
後で分ったことなんだが62~3人乗りの船だ。おいらまで入れるとちょっとオーバーじゃないの?
それからキャビンに一人座ると元気の良い婆さんの一族が回りに集まってきた。当然私は邪魔。
女が多いこともあり、誰が私の隣に座るか、興味深々に様子を見ていた。最初は若いお父さんが来た。斜め前のお母さんと小さな女の子のお父さんだ。子どもが少しぐずった。そのとたん「あんたは子供のところに座んなさいよ」「私がここに座るから」と言わんばかりに婆さんが代わってきた。トホホ・・色気もなにもあったもんじゃない。この婆さんこちらでは珍しく細身。ごそごそ手焼け防止の長い手と腕袋を付け始めた。もうとっくに黒いのに。と思うのだが。ここで、一言「女の子、可愛いですね。」「可愛、可愛」と言うと「対、対」不愛想。自分の娘の男・女の子供、所謂孫にも息子の男・女子供との言い方の区別があるからややこしい。慎重に電子辞書を引ながら「(息子の女児)孫女sunnu?」この発音は特にむつかしい後のnuには上に・・が付き、しかも三声ときた。何と帰ってきた答えは「三歳(sansui)、三歳」お孫さん?と聞いたのに、3歳と来た。マア3歳と言うことは分った。その後、めちゃくちゃ早口で、「あたしゃ、あんたの話し相手に座ったんじゃないよ!」話しかけないでくれ!と言われたようだ。ガク↓サングラスのせいかな。面白い顔でもないし。自信喪失・・・・と言う具合に悲喜こもごもの旅の始まりであった。二島はそれぞれ違った売り物があったが、予想ほどではなくつまらなかった。そんな訳で3時過ぎに戻って来た。今日は旨くスカイプが出来、旬ちゃんの顔が見れた。旬ちゃんは(娘の男児)外孫子という。今日は孫に振り回され、マゴマゴした一日だった。今日の写真はその船の孫から、島の風景など織りまぜ。説明省略。
0:44


9月24日(星期五、金曜日)今週最後の授業、午前のマンツーマンの授業は、順調に進んでいるが、それでも1分冊が終わらない見込み。3分冊まで行くと普通の会話は問題ないそうだ。と言うことは後何年掛かるとのだ!と言う具合に先の見通しは厳しいが、ボケないためには続けるしかない。午後の授業の後、夕方から若者二人と島の南西の端まで出かけることになった。依然、行った白い砂浜を想像していたので、誘いに乗り201号線を最初は南下、島伝いに西へバイクを走らせる。風が強い地域である。
行き先は風櫃(feng gui)と言う場所で夕日が綺麗な場所らしい。風の戸棚とでも言える地名から、
そこには波で削り取られた小さな洞窟らしきものがあった。波が強いと波が押し寄せる度に打ち付けられて音が出るとの事。だが、今日はそれを聞くことが出来なかった。パラパラと本島からと思われる
観光客を見るくらいで、静かな漁村である。総じてこの島には、リゾート、カジノといった煌びやかな雰囲気は似合わない。リーマンショック後、カジノ構想も頓挫しているようで、積極的に投資をしようと思う魅力に乏しい。これ以上の発展は余り期待できそうに無いようだ。明日は、七美(qimei)という離島へ観光汽船で行ってみようと思う。自然が残った美しい島と言うことで有名。日曜日は来週の離島へ向けて準備も必要なので、掃除やら洗濯、これまでの復習なので時間を過ごすことになりそうだ。今日の写真は風櫃でのスナップ
0:19



9月23日(星期四、木曜日)今日も朝から快晴。朝のテレビニュースでは紫外線が強いという。そう言えばこちらの女性のバイク姿は、さしずめ現代版鞍馬天狗といった様相。ヘルメットの下は目から下を覆う布の大きなマスクが垂れ下がっている。今度写真で紹介しますが、そのマスクにも色々デザインがしてあるのが面白い。さて、学習はだんだん難しくなる。今日も数字の四声が出来ず、これではビジネスにならないなアーと、悪戦苦闘。桁読みは流石、飲み込みは早いと思うが・・・・・練習のみかな。
宿題が仰山溜まっていたのをやっと片付けた。先ほどまで、同年輩のおじさんが明日帰国するので、気心の知れた人たちで送別会とやらを近くの夜市場と言う鍋専門の屋台で食べてきたところ。自分好みのタレを作り、豚肉、空芯菜?、春雨、キャベツなどをいれ、自分のタレにつけて食べる。
普通の鍋と変わらないが、タレはにんにくを細かく刻んだ物を入れ、ねぎをたっぷり、酢と醤油、ジャンに似たベースタレ、唐辛子を刻んだもの・・・・とても喰えないかなと思っていたが、スープを加えて食べ始めると、何とか食べれるではないか?こちらに来て、食の少々の事は慣れてきた。すべてがうまく行くわけではないが、多少の期間は何とかなる。しかし、日本の食の豊かさと、味覚はどうも世界一かもしれない。今日から旬が来ているので、明日はスカイプでもしよう。写真は、送別会屋台の風景、部屋の前に居座る猫の丸ちゃん。
21:35


9月22日(星期三、水曜日)今日は朝8時から12時までの授業でくたくたになった。覚えるのが追いつかない。発音に+四声の変化。理屈じゃなくてリズムといった感じ。何度も繰り返すのがコツと思うが、中には変わった奴がいる。3人授業で一緒の肉を食べない男は、何しろ声調の変化を「2,3,3,3、の場合は2,3,2,3、で、」「エート、3,3,4,4,4の場合ははどうなるのですか?」とか「4、4、と続く場合は前が2でいいんですよね?」とか、声調を番号で覚えようとするかと思えば、「他買不買英文書?」は「他買英文書嗎?」が文法的なのだが、会話としては前者が多いが、「俺的には前者の意味が分らない、理屈が分らないと覚えられない」と言って見たりと、少々進行に差し支える輩がいる。これから半年もいるそうで、ヅーと一緒でなくて良かった。さて、午後が丸々フリーとなったので、出かけようと思うのだが、又すごい日差しが戻ってきた。日焼け止めを通り抜けて黒くなりそうな紫外線を感じるので、夕方に出かけるべく、それまでは復習と午後寝に決め込んだ。しかし、昨日、会社の仕事に関連した依頼が銀行の元部下から連絡が入り、それを今日、退職した会社の元同僚に連絡したりするちょっとした事が、なかなかうまく繋がらず、行ったりきたり、思うように時間が取れない。そうこうするうちに4時近くなったので、以前から行きたかった澎湖大橋(以前行ったところ)へバイクを走らせた。203号線を真っ直ぐ約20キロの距離にあった。以前は周りに何も無く、寒々しい場所の印象であったが、今では若い人たちのデートスポットとして賑わっていた。今日は帰ってからプールへ行く予定だったので、早々と写真だけ撮って引き返した。6時前に廟の傍の屋台へ食事に出かけた。月曜日に帰国する50台の夫婦と一緒になったので、何がお勧めか聞き、単純にそれを頼んだ。所謂海鮮ドン(どんぶりが無いので海鮮皿に近い)、エビにイカ、牡蠣、たまねぎ他青野菜などがややトロミの味付けで60元(約150円)。これは旨かった。ここに来れば何か喰えそうなので、当面心配はなさそうだ。食後のあと、プールに行くと、休み。なんと今日は休みではないか。張り紙に中秋節により休館とある。すっかり忘れていた。22日は旧暦の8月15日にあたり、台湾では春節(新年)、端午節、中秋節を三節(サンシェ)と言って休みの中の休みといった感じ。月餅が配られるのもこの時、会社でも配るそうである。ニュースによれば、サラリーマンアンケートで貰いたくないものの第一に月餅が上げられていた。こちらのはでっかくて、甘いので、
健康志向の若い人には敬遠されるようだ、しかし、何がいいかとの問いの中で、現金、商品券が上位に上がっているところを見ると、流石現代人といったところ。もらえるもので一番いいのはお金と来た。
しかし、嘆く無かれ。こりゃ現実だ。トホホ・・・・今日はこれで終わり。写真は澎湖島中秋の名月、途中の風力発電用風車。懐かしい澎湖大橋今昔。
21:41


9月21日(星期二、火曜日)今日は久しぶりに朝から快晴。心なしか秋を感じる風の爽やかさと澄み切った抜けるような青空。日本と同じように秋のトンボが飛び始めたようだ。ここにも短いが秋のような季節があるように思える。やっと台風が去って散歩が出来た。何時もの競技場、何人かは顔見知りで同じような年代だ、若者はいないのはどこも一緒かな。教室ではこのところ何が旨いか、どこに何が売っている。どこが安いか・・・・とか食べ物の情報交換が盛んだ。昨日は餃子と言うことになり、先日言った店に買いに行くことになった。テイクアウトが出来、こちらでは珍しい焼餃子がある。見ていると若い人が多く、しかも水餃子より人気が高い。面白いことにメニューを見ていると、カレー餃子と韓国風餃子と言うのがある。中身が予想できるが、人気は豚肉、ニラ、水餃子では蝦といったところ。今日は肉汁たっぷりの饅頭、牛・豚・ニラ・鶏肉といった種類、街の中の屋台の一角だが具が多く、10個大きいのを買って300元、およそ8百円ちょっと。皮を鉄板で焼く独特のもの。外側がパリッとして、中から肉汁が出てくる饅頭で、これは屋台と馬鹿に出来ない旨さだ。それから西洋風のパンやもところどころで見かける。大きなアンパンが14元、セブンイレブンでは同じようなアンパンが22元するので安い。大分、生活にも慣れてきたが、来週の頭にはここを立つことになる。明日は8時からぶっ通しの授業が4時間続くので早めに寝ることにした。きょうUPした写真は、ここが一番大きくて美味しいパン屋の店内。学校で飼ってあるやんちゃな猫、丸ちゃん。
0:28

9月20日(星期一、月曜日)今日も台風の影響で、朝から雨が降り続く。食事に行けない人の為に、太太(奥さんの意味)・・・校長先生の奥さんが、昨晩は雑炊(牡蠣、鶏肉、野菜など)を作ってくれ、皆さんに振舞ってくれた。今日の昼は、麺類を大きな鍋で作ってくれたので、大助かり。午後の授業が終わる頃、ようやく雨が止んだが、その後も断続的雨が降り、本当に上がったのは夜になってからだった。
テレビによると、台湾本島の南部は相当な雨で、高雄なども排水が間に合わず、腰まで浸かるような水位で町中が混乱していたようだ。各地に相当な雨量をもたらしている。温暖化の影響なども言われており、従来に無い経路と雨量で常態化が心配されている。幸い、澎湖島はそれほど影響なく、夕方街に出たが、若干の木が倒れているとか、看板が倒れているとかの状況が散見された程度。それ以外の影響は、生鮮食料品に現れている程度。ついでに買い物をしてきたが、バナナが全くと言っていいほど、
市場から消えていた。あるのは黒ずんだバナナだけだ。島だけに、自然災害には弱い面がある。
日本でも心配しているかも知れないが、当方は全く心配ない。残念なのは、せっかくリズム正しく生活
が狂った事ぐらい。明日からは通常に戻り、散歩、プールも日課に入れようと思う。学習のほうは、師範大学作成の教科書を進めているが、1分冊が残り6日では終わらない、大体3分冊まで行けば何とかしゃべれるようになるとの事。リピーターが多い訳だ。今後の継続方法が課題だ。
今日の写真は、今日出かけた折に、軍隊の若い男女の新兵が台風の後片付けに駆り出されているところ、と町外れで見つけた昔の建物の写真をアップした。
17:59

9月19日(星期日、日曜日)台湾大陸への台風直撃の影響で、今日は朝から強風が吹き荒れていた。
時折雨がパラつくが外に出ることが出来る。セブンイレブンンへ飲み物の補充に買出し。正午からは、強風の雨の打ちつける音と、うなり声が聞こえるような風の声で、まったく部屋に閉じ込められた状況だ。今日一日は部屋に缶詰状態で、予習と復習に取り組むが、身体がだるく集中できない。人間は贅沢なものだ、時間はたっぷりあるのに慣れない状況で、落ち着けずにいる。と言う訳で、今日は宿舎の
連中の動きも無く静かなもので、浮世離れした時間の感覚の中で、只々風の唸り声を聞いている。ニュースによると、花蓮の被害が大きいようで、風の等級が確か17級とか言っていた。こちらは風の強さを等級で表すようだ。街路樹が根こそぎ飛ばされている。明日になれば台湾海峡を通過しているようなので、昼過ぎには天気は戻るだろう。全土の交通機関がストップしている。帰国時でなくて良かった。今日はアップする写真が無いので、観音亭にある天后宮、今昔として比べてみた。下が約14年前の写真。持参するのを忘れたので、スキャナーでデータを取り込んでメールで送ってもらったもの。それほど画質も落ちず見ることが出来る。本当に便利になったものだ。
0:33
9月18日星期六、土曜日)澎湖島に日本人街があったことをは余り知られていない。恐らく街形成としては馬公だけだったのではないか。1924年の戸口調査のデータから当時を語ると、澎湖人口は60,621人その内、馬公の人口は20,670人(うち日本人1,816人、本地人18,813 人,外国人42人)と島内一の町と言われてそうだ。佐賀、長崎、熊本、福岡などからの人が中心で、商業、建設、旅館等サービス業に活況を呈していたようだ。さて、後7日間の授業となったが、学習はまだこれからと言うところ。どう続けていくが課題。今日来た還暦の人は、何んと福岡市野間に住んでいる人だった。三年前から毎年ここに勉強しに来ている人で、普通の会話は問題ないようだが、しかし聞くのは難しいと言っていた。中国勤務が5年程度あったようなのに、その時は余りやる気は無かったとの事、退職間際から始め、日中のビジネスコンサルタントとして第二の人生を歩みだしたのだそうだ。そう言う訳で、今日の夕食はこの人を含め10人近く集まり、ここで日本語を学ぶ女性の案内で、美味しい中華料理を食べに行った。中華料理と言っても、正に澎湖式中華といえる地元産物(牡蠣、烏賊、粒貝の様な貝、瓜など)が中心に出てきた。台風が来ているようだが、この週末はストックもあり食事に心配はいらなそうだ。今日アップした写真の一つは、地元の野球風景。公式ソフトボール(硬いヤツ)と思うが、ピッチャーの投げる球は、ゆっくり山なりの玉で、キャッチャーは中腰の姿勢。ボールは殆どベースの手前に落ちているのでストライク、ボールの判定が良く分らない変な野球。もう一枚は中華料理での食事前の風景。
登録:
コメント (Atom)




